2輪屋しろくま 近場の道中記



2001年10月31日〜11月1日 快晴翌日雨
山陽道、九州道経由にて宮崎、青島から都井岬を経て熊本泊
ホンダ アフリカツイン


きっかけ・・
九州へ何度か2輪で行っていますが、最近は小さい頃の家族旅行のコースをたどってみる事が多くなりました。
父はまだ九州の道の舗装率がかなり低い頃、広島から1日で宮崎へ走ったといいます。
2輪でも4輪でも未踏の地だった宮崎、地図ソフトでコース計測しているうちに行けそうな気配。
仕事が忙しくなる時期を目の前に、今年最後の?悪あがきです。


1日目

急な仕事も無く、天候も2日とも晴れか曇。珍しく早朝からの出発です。前日夜に軽い点検はしておいたのですが、大事を取ってパンク修理できる程度の装備はしておきます。
朝6時50分、寒々とした広島を抜けて出発。廿日市ICから山陽道へ入ります。朝靄の中、寒気が身にしみてきます。まだ冬季用のジャケットは必要なかろうと3シーズン用の装備。車も少ない中、ペースも余り上げず淡々と抜け、コーヒー休憩一回と燃料補給を済ませ、下関の壇ノ浦SAで食事。
 いつもの場所、まだもやがかかっています。

モーニング時間の食堂でカツカレーを食べ、コーヒーだけでは暖まらなかった身体がやっと始動します。博多付近くから若干の睡魔が出てきますが、古賀SAを横目で通り過ぎ、久留米JCTまであっという間。久留米IC手前の白い鉄橋が、父と福岡県山間部の親類を訪ねて走った頃を思い出させます。
今回はとにかく飛ばさない、先の長い道です。正午前に熊本北SAに入りますが団体客と一緒になり、コーヒーだけの休憩。
気温が低い時は血流が悪かったのか、シートからの痛みもあったのですが暖かくなってそれも解消。シート交換後半日以上走るのは初めてでしたが、けっこう具合良さそうです。
八代を抜けた辺りから高度を上げ始め、山越えの後人吉へ入ります。4輪で走った時には見えなかったのですが、かなり険しい渓谷の斜面にぽつぽつと集落があります。
対面通行の箇所を抜けると、宮崎道へのジャンクション。ここからは初めての道となります。
右手にかなり美しい山がそびえていましたが、後で霧島だと知ります。霧島SAで休憩。丸天うどんが腰があって非常に美味。本日2度目の食事。
この辺りからかなり暖かくなってきます。宮崎はもうすぐ。都城を抜け川幅が広くなり宮崎ICに到着。
当初はここから直接青島へ向かう予定でしたが、料金所を抜けたところに埴輪がいくつかありました。そう、ここ宮崎市には埴輪園があるのです。
路肩で地図を確認し、平和台公園をめざします。優れたGPSナビゲーションもあると便利ではありますが、昼間なら道路標示を見ていればなんとかなるものです。

宮崎市内への入り口、見慣れたJ−Airのコミューター機が飛んでいます。飛行機なら広島西飛行場から2時間もかかりません。
道路沿いに椰子の木が林立。もう頭の中はサンダーバードのテーマが流れ止まらず、椰子の木がこの高さならサンダーバード2号はこれくらいの大きさかと、しょうもないことを考えながら宮崎の市街地を走ります。
電気ストアのデオデオ、宮崎にも進出しておりました。けっこう大きな町のようです。翌日の行程に余裕があれば宮崎で泊まってもよかったかなと思います。
何度も表示に従って曲がり、平和台公園に到着。「八紘一宇」の文字のある塔が目に入ってきます。
平日でもありまして、駐車場に2輪の旅行者が一人、公園は子供連れと昼休みのOLさん風2名。塔の前で手を叩くと金属質の反響音が聞こえてくるのですが、ちょっと気恥ずかしくパス。塔に上がるとシーガイアが彼方に見えます。

さて、埴輪園です。実は31年ほど前に父に連れてきてもらった時には、踊る女性の埴輪が宇宙人か何かに見え、ひっじょーーに恐ろしく大泣きをしてしまったのでした。
 リベンジ(ノ ̄∞ ̄)ノ
この馬の埴輪は入り口にあるのですが、この前でべそをかいて写っている可愛い子供だった頃の私の写真もあります。時はかわるものです。
この時の埴輪の恐い思い出が、小学校高学年になっても抜けず、お土産のミニチュアであっても埴輪が恐かったのです。死んだ人と一緒に埋める副葬品だと言う事もあったのでしょう。

ところが・・・

よく見ていくと、みな非常に表情が豊かです。(踊る女性の丸い口を開けたやつはのぞいて・・)穏やかな笑顔、ニヒルな奴、喜んでいる者、武人の像もありますから、戦争が無かったわけではないのでしょうが、精神的に日本が豊かだった時代を類推させてくれます。楽しいものばかりです。
あの恐かった踊る女性の像もよく見ると頭からかぶる特殊な衣装の様にも見え(宇宙服にもみえますが)(宇宙服に思えるデザインのものもあり、当時の小学生向けの不思議図鑑などには、縄文時代の日本人を襲った宇宙人だ!などとありました)特殊な祭礼用の衣装だったのかもしれません。

子供が泣く理由なんかこんなたわいもない事です。
地球を滅ぼすような兵器など無く、表情も感性も豊かだった日本もあった証明かもしれません。

平和台を後にし、青島へ向かいます。中央分離帯に延々と椰子。際限なくサンダーバードのテーマがリピート。途中に設備の整った野球場があり、オレンジ色の巨人の旗が目障りなほど並んでいます。海沿いのホテルは「読売巨人軍様歓迎」の看板。巨人宮崎キャンプがここです。

小さい頃、泣き続けていた私を青島で迎えてくれたのは、パイナップルと包丁を持って、旅行者に切って食べさせてくれるおばさんでした。
もうそんな事はなく、歩道の隅っこに2輪を置いたおっさんに「何か買っていってくださいね」と声をかけてくださいます。フィルム買いました。
 鬼の洗濯板
太平洋です。遙か彼方にシーガイアも見えていました。風がそれほどきついわけでもないのですが、四国の高知で見る太平洋よりも波は大きく向かってきます。
磯だまりに生物がいないか見てみましたが、小さな巻き貝が一生懸命踏ん張っているだけでした。

不思議な事に、道沿いのお土産屋台で売られている貝の笛、貝細工の亀、ソテツの実、軽石の加工品。31年前と全く同じ物が売られていました。
パイナップルのおばちゃんはいないけれど、他は時間止まっています。写真屋さんのパラソルの下で黒猫が昼寝。

平和台でけっこう時間を使ってしまい、都井岬への道がちょっとハードになります。日南海岸を延々と走行。良く見れば鬼の洗濯板と呼ばれる奇岩は、青島だけではなくずっと続いています。
途中海岸の断崖沿いに飛ぶモーターパラグライダーと併走、けっこうゆっくり飛ぶようで追い越してしまいました。いつかはチャレンジしてみたいものです。
 ちょと休憩
日南市は我等が広島東洋カープがキャンプをする場所として知っていたのですが、国道沿いに控えめにカープ歓迎の看板。天福球場の案内板もありましたが、日南市自体は広島県西部で言えば、安芸津町か竹原市くらいの規模でした。巨人とえらい違いです。
この先には西部ライオンズのキャンプ地もありましたが、プリンスホテルが宿泊施設になっているようです。

都井岬まで直線距離ではそんなにないのですが、海岸沿いのうねった道を延々と進んで行きます。工事箇所も多く、夏の豪雨で道路が壊れた場所も多く、植物園の中をパスなどして走って行きます。一度道を間違えたのですが、工事の交通整理の人が丁寧に道を教えてくれました。最初外国人の人かと思うくらい彫りが深く毛深い人でしたが、土地土地で人の顔も変わってくるものです。スタローンみたいだった。
とりあえず海岸線を南下すれば着くだろう位に思っていたのですが、最後は沈んでいく太陽との競争。都井岬の駒止の料金所のおじさんは、もう遅いからと無料で通過させてくれました。
こんな夕暮れに馬が歩いているはずもなく、カーブを抜けた路肩の広場に降りると、振り返った山の中腹で夜遊びの馬がひっくり返って奇声を上げておりました。
 都井岬
風は穏やかで、何も音がしません。(馬の声は別として)馬糞を避けて草の斜面に腰を下ろします。眼下の漁船のエンジン音がかすかに響き、穏やかに夕日が落ちていきます。ここの馬たちは毎日こんな風景を見ているのでしょうか。
来ました。走る意志があれば来れるものです。広島の自宅に電話をすると太陽はもうとっくに沈んだとの事、それだけ西に来ています。

灯台まで走り、夕日を見届けて引き返す頃には、灯台の向こうに月が顔を出していました。
途中の自動販売機で水を買い、海岸線の潮風で汚れたシールドを清掃。
串間市へ進路を取り、鹿児島へ向かう海岸線から途中右へ進路を変え、都城を目指します。
串間の先から都城へ抜けるルートはツーリングマップルには散策に向いた狭い道とありましたが、車の通行も若干あるようで、道路の状態も良い道でした。燃料は都城まで十分な余裕があり、月明かりに照らされた道を55wの2灯はしっかり照らしてくれます。
広島で言えば、佐伯町からもみの木森林公園へ行く辺りの道に似た感じ、ややこしいカーブもありますが、地元の車について行きます。
月明かりは次第に明るく、山の稜線もしっかり見えてきます。心強い穏やかな青い光。「月灯り」が頭の中で響いてまいります。月曜のコンサートで聞いたばかり・・・。

山はかなり深いようでしたが、次第に人家も増え、進行方向の空が明るくなって都城に到着。一度地図を確認し、燃料補給とトイレでGSへ。若い子の言葉がほっとします。そろそろお腹も空いてまいりましたが、目指すは熊本。都城ICから宮崎道へ入ります。
そろそろ気温も下がり始め、昼間ほど速度も上がりません。来た時の所要時間から類推し、熊本9時チェックインが遅れそうなため、霧島SAからホテルに連絡。コーヒー一杯の休憩。トラックの後ろを必死で走ります。
月あかり、星あかり、夜なのに山々が遠く見えます。九州道へ入り人吉から八代へ。飛ばさない焦らない集中集中の連続。若干土地勘の出てきた熊本の道も、熊本ICからワシントンホテルまで、渋滞も無く、一度も迷わずホテル裏手の職員出入り口近くにアフリカツインを止めます。
熊本市内の走行で、交差点での停止中にふらふらでしたが無事到着。
チェックイン後、とりあえず風呂で身体を暖め、ぼーっとしたまま居酒屋さんで食事。ぼーっとしていて頼み過ぎましたが、胃に血が回って身体の芯も暖まりました。
ビール半口で爆睡。

本日の走行 916.1キロ 2輪では最長記録


2日目

7時半のアラームに目はしっかり覚め、朝一番に思った事は「今日はもうオートバイに乗りたくない」などという不謹慎な寝ぼけ頭。
めったに見る事もない朝のワイドショーを見ながら、知人からのメールに返信。
岡江久美子が今日は犬の日というてました。11月1日わんわんわん・・ じゃ11日はどうなんじゃいと・・まだ寝ぼけ頭。

前日買ったお茶を飲み、朝食抜きで出発。帰還は夕方までで良いとの連絡を受け、9時前にホテルを出発。熊本ICを通り過ぎ目指すは阿蘇。
今日は阿蘇からやまなみ経由で別府で地獄巡りして周防灘フェリーで帰ろうかなとおもっていると、雨。雨 雨 雨。大雨。
見れば阿蘇方面は黒い雨雲が一面。熊本に泊まって翌朝が快晴だったためしがないのですが、降るものは仕方ない。
阿蘇からやまなみを豪雨で走るリスクを避け、カッパを装着し来た道を引き返します。
素直に熊本ICから九州道へ。久留米あたりから雨は上がったのですが、反対車線(南行き)ではトラックが多重衝突。1区間車の大渋滞。

古賀SAで朝食。カフェテリア形式でもやはりカレー。杏仁豆腐も付けましょう。博多の海の中道へ行き、元寇の史跡を訪ねるのも良いかと思うが、古賀ICで降りる必要があり、1区間引き返す元気も無く、門司ICまでノンストップ。門司で国道へ降り、今回は関門トンネルで本州へ帰還。自動二輪通行料100円。
高速道路であれだけトンネルがある時代になると、関門トンネルはごく短いトンネルになってしまったが、下りと上りがかわる最深部で県境の通過を知る。
下関市内へ入り、水族館の向こうの桟橋で休憩。
持ってきたMDを1枚聞き、バッテリー切れ。目の前の桟橋には山口県警の水上署の船舶や、海上保安庁の巡視船や港内作業の特殊な船が揺れている。

知り合いの船舶模型愛好家の人におしえてもらった、保安庁の巡視船の船首の波消し構造を写真に納める。双胴の油回収船や消防艇、波は荒く桟橋の揺れる音が響いてくる。
ついた時は晴れ間も見えていたのだが、次第に空は暗くなり、雨の前に下関を出発。合羽を着たり脱いだりを繰り返し、下松SAでコーヒー休憩。
4時過ぎには自宅に帰着。家人は留守で犬が帰還の歓迎。洗濯物を出し、夕方から洗車しようかと布団に横になってから、7時過ぎまでそのまま爆睡。

本日の走行 412.4キロ



遠いと思っていた宮崎も、野口装美さんで加工して頂いたシートは疲れ知らずとなり、1泊での行程を可能にしました。
本格的なツアラーならもっと楽とは思いますが、都城へ抜ける時に工事中でダートへ入った事や、予測のつかない路面変化に対してはデュアルパーパスの方が楽な面もあります。
1日目の最後はもう集中力だけで走っていたような気もしますが、再び訪れたくなる宮崎でした。佐多岬へ行くなら鹿児島泊も含め2泊は必要かもしれません。

総走行距離 1328.5キロ
平均燃費 リッター22キロ

2001/11/03


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