2輪屋しろくま 近場の道中記



2001年5月9日〜10日 晴れ
山陽道・九州道・大分道を経て日田から阿蘇を目指し、熊本泊のコース
ホンダ アフリカツイン


1日目

2月頃に後輩と阿蘇を目指していたのですが、仕事の都合や悪天候で断念していました。
当初徳山(山口)から周防灘フェリーで国東に渡る方法も考えていましたが、連休明けの平日、修理上がりのR100で行く事を断念し、アフリカツインで地図もろくに見ず、高速を延々と日田まで走り、南下して阿蘇を目指します。

午前中仕事がいろいろあり、家を出たのは12時半、今回は熊本のホテルに一泊なので荷物も洗面用具と着替えだけ。カメラはコンパクト1機にハンディの3脚(自分撮る用)をジャケットのポケットに入れます。私はどちらかというと荷物が整理できない方なのですが、今回はまとまりました。
トランクに荷物と合羽を詰め込み、ハンドルポーチ(高速券やらあれこれ)を付けたら準備完了。自宅から国道2号線へ出て、西広島バイパスから山陽道廿日市インターへ上がります。
リヤクッション交換して、高速の巡航も安定しているのですが、今回は横風がすごい。バイザーの付いたヘルメットが横殴り状態。車は何も振られず突き進んで行きますが、首がちょとしんどい。次第に慣れ、スクリーンの下にうずくまるようにすると風が防げるのですが、それなりのペースをつかんで西を目指します。
防府SAで給油のみ、下関の壇ノ浦PAまでひたすら走ります。アフリカツイン、オフモデルですがカウルの効果がけっこう高くヘルメットの風切り音と、シートの痛さを我慢すればどこまでも走って行けます。(でも尻は非常に痛い 体重が重いから?)

 壇ノ浦SA
壇ノ浦SAでちょっとだけ休憩。まろ茶の缶を片手に関門大橋を眺めます。瀬戸中央道や明石海峡大橋と、巨大な橋は今では珍しくないのですが、私が小学校の頃にはこの関門海峡大橋が一番大きな橋でした。本州と九州とつなぐ意味ではいつも感動。
海峡の流れがかなりきつく、下流へ進む船はほとんど流されて行きます。壇ノ浦の合戦で手漕ぎの船を操った頃はどうだったかと思いは巡ります。
本線に戻り、橋を渡ります。速く走るのが勿体ない気もして、左車線を80くらいで下を見ながら流します。そして九州に上陸。看板のハングルが以前から気になっていたのですが、ここからだと釜山は自宅より近いのです。

北九州あたりの炭坑のボタ山、4輪で来るとあまり目に入らないのですが、2輪だといろいろ見えてきます。ちょっと得した気分。
福岡が近くなるにつれ、高そうな外車も増え、流れも速くなります。ジャガーのKX8にみとれ、ベンツのCLKに感動し、いつしかベンツより恐くなったセルシオに道をゆずり、そうこうしている間に太宰府を通過。たまに恐そうな車風に改造した覆面パトカーもいます。見つけるのはちょっと楽しみ。
4輪の時なら寄る古賀SAにも寄らず、そのまま鳥栖JCTから大分道へ入ります。杷木のあたりから山裾にめちゃくちゃいっぱいに柿の木が広がりますが、今はシーズンではなく、それらしき木があるだけ。山の色が変わるくらい柿一色の産地です。
実は、この杷木ICや今回通過する日田ICは、親戚を訪ねる時に良く使う道です。日田ICで降り、料金所で「今日は良い天気だったでしょう」と声をかけてもらいます。穏やかな土地です。

日田に着きましたが、今回は親戚の所にも寄らず、ついでに駅前の中野モータースさんにも寄らず(いつか行ってみたいのですが)、バイパスを抜けて温泉街を川向こうに見ながら国道212号線へ入り、山を越えて南下します。

212号線、日田を抜けるあたりにキリンのビール工場ができていました。次第に高度を上げて杉林(天領の日田杉です)が増えてくると、道は狭くなり舗装もフラットな砂利道以上に荒れて来ます。片側に川の流れを見ながら山間を走って行きます。学校帰りであろう高校生が、タイムスリップしたような錯覚を覚えるくらい、しっかりした学生服でスクーターを走らせています。女子高生にはビーノが人気の様です。あまり威圧しないよう離れて淡々と走って行きます。
前日地図をチェックしただけで、あとは道路の看板に従って走っているだけです。4輪でも私はナビゲーションは使わない(ついてない)のですが、気ままに行き当たりばったりでアンテナ広げて走るのも良いものでございます。

 杖立温泉の川原を泳ぐ鯉のぼり
杖立温泉の看板を左に見ながら橋を渡ると、対岸の崖に温泉街が広がります。川面いっぱいの鯉のぼり。後で聞くと自然災害で温泉街は寂れてしまったようですが、雰囲気の良さそうなこぢんまりとした宿が並びます。温泉メインで来ても面白そうです。
杉林が減ってきた頃から、道路案内に阿蘇の文字が出てまいります。阿蘇の外輪山に入って来ます。小学校の頃父に車で連れて来てもらった時は外輪山が大きすぎて何の事かわからなかった思い出があります。カーブを曲がるたび中岳とおぼしき噴煙が近づいて来ますが、おいそれとは近づきません。

 212号線を走る
そのうち道の回りが一面の緑の牧草地に変わって来ます。そろそろ阿蘇かな?と嬉しくなるのでございます。

 大観望バス停 山肌に沿って降りてゆくと阿蘇の麓
大観望のバス停で車を止めます。カーブの先にすそ野の水田が夕日を反射して光っています。日田市から1時間ちょっと、5時半でまだまだ日は高い位置にあります。
(画像だとかすんでますが、あの先に阿蘇の山々が見えます。みえるでしょ・・)
やまなみハイウェイほどペースは上がりませんが、高度差もあり景色の変化はこちらの方が楽しめます。外輪山を越え、いよいよ麓へ入って行きます。
仕事帰りの軽トラの助手席に柴犬が威張って座ってる、そんな帰宅時間です。

今回は夕日をメインにしていたので、米塚、草千里を日がある内に通過できそうです。3年前に有料だったはずの道は料金所が消え、連休明けの夕暮れは対向車もほとんどありません。ちょっと雲がかかっていますが、ゆったりした大きなカーブを次々と抜け、眼前の巨大な景色を楽しんで行きます。

 夕日の山麓
牧草地脇で車を止めれば、カラスと雲雀の鳴き声だけが響きます。ほんとに静かな世界。半日で来れたのが嘘のようです。

草千里はあいにくの曇天。それでもわずかに団体旅行のバスが止まっていますが、お店はほとんど閉まっています。駐車場の料金所も閉店。
中岳まで行けば夕日が見えるかと思いましたが、高度を上げれば上げるほど雲は厚くなり、中岳の駐車場は遠くに車が2台。お店は完全に閉店。駐在所に赤いランプは点いていますが、お巡りさんは不在の様子。ちょっと寂しい。知り合いにとりとめのないメール。
中岳の噴煙を目の前に、自分の小ささを身体の芯まで体感します。せめて自販機でアイスクリームでも食べようと買ってみたらスプーンが無く、結局車のキーで食べました。あぁなにしてるんだろ。

 米塚を眼下に
米塚の三叉路まで戻ると雲は上になり、かすかな夕日に米塚が浮き上がります。ここから西に向かい熊本を目指します。夕暮れの山麓、山麓の喫茶店の灯りがやけに暖かく、夕日に照らされながら外輪山を越えて行きます。7時過ぎてもまだ明るく、8時のチェックインに間に合いそうです。

熊本市内に入る前に本日2回目の給油。熊本ICの看板をたどり、暮れかかった熊本市内に入ります。
ここになって初めて市内地図を持ってない事に気付きます。2000年の暮れに4輪で鹿児島の知覧に行った帰りに熊本に泊まったのですが、そのときの道の様子を記憶の底から検索再生、途中「熊本駅・熊本城」の方に曲がり、水前寺公園の位置が怪しくなってきます。
しかし、熊本市内いつのまにか「餃子の王将」(京都の方)が増えています。寄ろうかなと心が動きますが、ホテルへ着くのが先。曖昧な記憶をたどって電車通りを越えたところで、前回のルートと合流。路地で方向転換し電車通りの橋を渡って、前回あれだけ迷いまくったワシントンホテルへの道を、大きく外れず、到着予定時刻前にホテルの前で2輪の置き場を聞き、8時ジャストにチェックイン。

自宅へ電話し、友人からのメールを読むと、大学の時の同級生が九州地区の同窓会を熊本でしているとの事、しかも宿泊がワシントンだとの事。
奇遇も奇遇、来てるかもしれない友人に電話してみるが出ない。もう飲みに出かけた後の様でした。
風呂へつかってぼーっと充電。年末に来たときに入った居酒屋さんは見つかりませんでしたが、ふらっと入った居酒屋さん、カウンターに座らせてもらい馬刺はあいにく売り切れだったのですが、こぎれいな料理に感動。聞き慣れた声の広島のテレビ局がしているカープのナイター中継を見ながら、絶品の焼むすびと魚のみそ汁ににこにこしながら夜はふけてまいりました。

本日の走行 474キロ


2日目

いつもの旅先では普段は考えられない位に体内時計は高精度で、早朝から頭すっきりなのですが、ゆったりした朝です。
顔洗って着替えて荷物をまとめ、朝食に降りていくとレストランの入り口に見たような顔が、「これこれどうこう」と友人から聞いたいきさつを話し、一通りのバイキングを食べ尽くし、ジュースのお代わりに奥へ行って戻ると、奥の方の席から何処かで見たような顔が不思議そうな顔で手を振ってます。
近寄ったら、いるわいるわ、天草の友人の結婚式以来の奴やら、こないだ会った奴やら、久しぶりの奴まで、おっさんおっさんおっさん。
「昨日Fに聞いててなぁ・・」「いやぁ ほんまに」と懐かしい顔ぶれ。全然変わってないといえばそうだし、おっさん化が進んでるといえばそうだし、大半が結婚してますな。未だに2輪でふらふらできる自分の境遇に少し感謝。
「いや、ちょっと阿蘇がみとーなってね・・」と照れ隠し。チェックアウトの後、荷物持ってもう一回寄ると、奥の方へ枚方のおっさんまで。「どしたん」と笑顔笑顔。「ほいじゃぁ またね」と別れて行きます。
私の業界は(どんなんだ)連休明けの水曜は時間が取りやすいのでした。
みーんな結婚してしまって、私はXL250Rだったのがアフリカツインになっただけで、でもいいのだ。

スタタタとホテル周辺を抜け、夕刻の仕事もあるため、阿蘇と竹田はパスして、水前寺公園もパスして、本願寺熊本別院もパスして、熊本ICから九州道へ入ります。急がない旅、ちょっと抑えめのペースで北九州めかりSAで軽食。父と最後に九州へ来た時に父が食べたオムライスを注文します。
売店で「行って来るよ」と言って置いた知人への貢ぎ物を購入。トランクは便利。海峡の向こうに見える、新しくなった下関水族館「海響館」へ向かいます。

 海響館(下関水族館)
平日なのにかなりの人、良いとは聞いていたのですが、大阪の海遊館の小さい奴かな、と思いきや、河豚河豚河豚。ありとあらゆる河豚。幼生のくせに一人前に河豚の格好で一所懸命せびれを動かしてる奴、ちょっと大きくなって河豚になってるやつ、10キロは越えようかという巨大な奴。
河豚の展示では唯一ではないでしょうか。
小学校の修学旅行で来た旧下関水族館は、鯨の資料と愛想の良いペンギンが今でも記憶にはっきり残っています。
島根の浜田にある「しまねアクアス」もそうなのですが、良い水が十分に確保できる水族館は、魚屋さんに並んでるような普通の魚が非常に良い状態で展示されています。通常の水槽なら人工の光がメインなのですが、海響館は太陽光も十分に採り入れられており、人工の波動で流れを作っています。
表に出ると、ふれあいコーナーがあり、イソギンチャクだナマコだとあまりふれ合いたくないものがのたーっと居ます。

ここにはイルカの飼育もされており、実はイルカ(バンドウイルカ)をこの様な形で見るのは初めてだったのですが、すごかったです。
 もうこれはアクションジャンプといえましょう
野生のイルカがたった1年でここまで人間とコミュニケーションできるのかも不思議ですが、ショーの前に自主的にウォーミングアップしたり、わざと客席に水を飛ばしたり、すごいです。しかもその動きがスムーズで波がほとんど立ちません。
イルカの声があんなに大きいとも思いませんでしたが、こいつらずっとこのプールにいて辛くないんだろうかと思いながら館内に戻ります。

アザラシの展示水槽の解説文を読むと、この1頭が旧下関水族館が台風による高波で崩壊する前から居たアザラシで、流されてまたここに戻って来たという話がありました。一生出られない飼育環境から、自由な海に戻りながら、自分の意志で選んで戻ってきたという事、食べる事と安全が確保されていることが彼らには大切だという事を知らされました。
館外に出て岸壁を歩くと、目の前の海にも小魚がうじゃうじゃいます。潮流の流れの速さ(最大10ノット?くらいまで)が生物の成育に恵みをもたらしているのでしょう。(画像のプールの向こう側は壇ノ浦の海)

水族館から海岸沿いに走り関門大橋をくぐって、火の山公園に上がります。回転展望台のレストランで目が回り退散。下関と門司を目の前にして、下関ICから中国道へ入り、山口から山陽道へ別れ佐波川SAで最後の給油をし、廿日市ICで2号線へ降り、混み合った西広島バイパスを走って帰宅。
エンジンの音に気付いた犬が玄関で出迎え。時間的に無理のない行程でした。

本日の走行399キロ



広別汽船の別府行きフェリーが廃止され(旅客船は最近復活)阿蘇へ行くコースをいろいろ考えていたのですが、夏場なら半日で行けます。
荒城の月の舞台ともなった竹田の町も訪ねてみたかったのですが、それは次の機会。

長時間の走行でシート幅が狭く柔らかいシートと大きな体重のせいもあり、尾てい骨周辺はひじょうに痛いのですが、振動、巡航性、航続距離、カウルの整流等、完璧なツアラーとしても使える事を再確認。
純正ミシェランからBSの半オフタイヤに履き替えているのですが、車の流れに乗る程度の巡航なら発熱や騒音もそんなに問題なく、舗装路の旋回でもかなり安定していました。

燃費は20〜22Km/L アップダウンの無い信号の少ない国道を流したときよりは延びませんが、リザーブ使わず350キロ走れるのはメリットです。

2001/05/12


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