長崎の平和公園
広島の平和公園は、私の家からですと徒歩でも10分もかかりません。しかし8月5日の夜に行われる原爆逮夜法要以外では、通り抜けるか国際会議場へ用事が無い限りはまず行く場所ではありません。近所だとこの様なものです。
小さい頃に父が九州をあちこち連れて回ってくれた思い出に、2輪や4輪で九州に出かける事が最近多くあります。その中で長崎だけはなかなか行く事がありませんでした。
「皿うどん」「異人館」「平和公園」「坂の町」というイメージはありましたが、実際に行った事はなく、広島・長崎と併記される事があれだけありながら原爆投下が8月9日だという程度しか知りませんでした。恥ずかしい事ではあります。
平和運動にご熱心な方ならともかく、被曝2世である私でも認識はこの程度です(私だけかも・・すみません)、広島の事を正しく理解してほしいと余所の人に思う事自体が無理なのでしょう。
9月にアメリカでとんでもない事が起こりました。事故かとテレビをみていたら更にもう一機、乗客を乗せた飛行機が突っ込んできました。しかもその建物は逃げ遅れた人を飲み込んだまま、人々の目の前で崩れてしまいました。
たった1日で、あれだけ平和だった世界が一気に戦争へ突入してしまいました。湾岸戦争の時と違い、国家間の争いではなく、首謀者も当初憶測でしかわからないまま、マスコミのかけ声に世界中が踊り、戦争となってしまいました。
日本がアメリカに追従するのは仕方ない事でしょう。日本はアメリカと戦争をして負けた国です。対岸の火事であるかのように無関心な政治家や評論家もいます。今でも日本が攻撃目標になる可能性があり得ないと思っている方もいらっしゃるでしょう。
そういう人達が、カンボジアへのPKO派遣で、機関銃を持って構えている人の前に、丸腰で防弾チョッキも装着していない警官を派遣し命を失わせました。
そういう事の教訓は何も生きてないようです。なにしろ、政治家の人であれば有事の際には議事堂地下のシェルターへ入れます。
どこの国でも犠牲になるのは兵士であり一般市民です。
楽しみにしていた南紀白浜空港のエアショーが有事のために延期となり、アジアへの研修旅行も危険を感じキャンセルしました。
有事という事です。
なぜか、この時こそ長崎を一度訪れておかねばならないと思い、丁度気候や距離の都合が良く、4輪で長崎へ向かいました。
美味しい皿うどんが食べたいというのももう一つの大きな要素。
九州道を走り、鳥栖のジャンクションで熊本や大分へ行く事は頻繁にあるのですが、長崎へは初めてです。
道路は良く整備されており、地図を見ながら長崎の平和公園へたどり着くのは簡単な事でした。
平和公園の第一印象は「狭い」という事でした。もう一つは「階段が多い」。広島のような平地を思っていたのですが行ってみないとわからないものです。
平和の像も思ったよりもっと小さく、平和学習の子ども達がいっぱいいたのがにぎやかでした。
実は、市営の駐車場に車を止めて降りた時に一番最初に目に入ったのはレストハウス(おみやげやさん?)の壁に大きく書いてある「被爆者の店」という看板でした。
これは意外でした。「はぁ?」というのが正直な所です。
広島でも、自称「原爆一号」の方はたくさんいらっしゃいますが、堂々と被爆者の店と名乗っているお店は平和公園の回りにはありません。
被爆者の方が経営されている、働いておられるお店は、広島であればそうでないお店を探す事が困難な事です。
修学旅行相手のタレントショップと同じ意図なのでしょう。しかし私には非常に不愉快でした。
逆に、広島では当たり前だと思っている事が、余所からの訪問者には異様に思える事もあるのでしょう。
広島には無いのですが、長崎には爆心地を示すモニュメントがありました。広島は爆心地と推定できる場所は、当時の町は焼失していますが、ビルが立ち並ぶ場所です。2001年の夏に、爆弾を投下した場所と落下地点は、高速で飛ぶ航空機からの投下ではずれるはずだと、航空機からの爆撃照準の意味も知らない世代が間抜けな論文を発表していました。もうそんな時代になっています。
黒い石の回りに同心円が描かれ、お土産売りさんと、語り部さんらしき方がいらっしゃいました。言いたく無い事もあろうし、あえて伝えておかねばと思われるかたもいらっしゃるでしょう。学生時代に大阪の某所で「私は**町」で被曝しましたと語られるパネラーの方がいらっしゃり、嘘が見え見えだった事もあります。その町は人が避難していった場所でした。ほんとは言いたくない人ばかりだというのが事実でしょう。
その爆心地モニュメントの横に、石灯籠が一対ありました。おそらくここで大勢の方のご遺体を火葬にしたのでしょう。
そこから坂をずっと上がっていくと、浦上天主堂があります。
長崎へ着いてからやたらとキリスト教の教会が目に付きます。外国のような感じさえします。爆撃に依って破壊された聖母像。私も浄土真宗寺院の住職ではありますがYMCAにも何故か通っておりまして(野外活動部でしたが)、教会も実は珍しくないのです。
天井が高く、伝道の場として非常に優れた教会の内部、ステンドグラスが太陽光を受けて美しい光を発しています。
たしか・・アメリカは太平洋戦争では日本に対して黄色人種であること、神道や仏教を信仰する「反キリスト者」である事を、戦争の正当化の理由にしていたような気がするのですが、長崎の原爆投下では大勢のキリスト教信者の方が被害に遭われ、たくさんの教会が焼失し、牧師さんも大勢亡くなられているはずです。
結局、戦争を正当化する理由としてキリスト教を利用しているだけだったのかもしれません。
原子爆弾が落ちる事によって、多くの方が被爆者となり、その子ども達は被曝二世とよばれ、いろいろな目で見られます。戦後なら就職や結婚に大きなマイナスとなった事が私には見えてきます。実質的には今もそうでしょう。
そんな街で「被爆者の店」と言うのは一体どういう事なのか。不思議に感じました。
広島や長崎の米軍による核兵器による爆撃だけが被爆者を生んでいるわけではありません。六〇年代の米国での核実験にモルモットとして使われた米軍の兵士もそうでしょう。湾岸戦争で劣化ウラン弾によって被曝した兵士もそうでしょう。
「核兵器反対」と大声を上げる事が平和の運動なのか。父はずっと「アメリカが悪いわけではない」と言い続けていました。核兵器が悪いのではなく、戦争をする事が悪いのだと言っていました。
日本の被爆者を差別してきたのは日本人です。
非常に悲しい事です。爆撃を生き抜いた人々に「どうせあと一〇年も生きない」と言ったのも事実です。戦後五〇年も経過して被曝が直接原因となる病気で亡くなっても「原爆に遭ってるから」というのも遭ってない人々です。
同じ様な事が長崎でも起きているのでしょうか。そういう事が無い事が平和なのではないのでしょうか。
長崎は大陸にも近く、オランダ交易などで異国情緒あふれる町でした。九州は大都会博多から離れるほど人々が優しくなる(博多がそうでないというわけではありません。念のため)を証明するかのように、人の言葉が優しく、生き生きした人にたくさん出合いました。
別に平和運動に興味がある訳ではありません。むしろ「平和」の名の下に人を見下し侮辱する一部の人間に強烈な反感を持っています。
普段あれほど「平和平和」という人々が、アメリカの大規模テロに対して何か言ったのか?まさか興味深くテレビを見てる事など無いとは思いますが、平和な時に被災者を中傷する事が平和運動ならばやめた方がいいのではないですか?
平和イメージに「原爆投下後のきのこ雲」「鳩」「平和を祈る像」があります。長崎にも最近できたらしい変な?モニュメントがいっぱいありました。
しかし、あのきのこ雲の下に大勢の人々が居る事を普通の人は思うのでしょうか?
「人は多くなるほど物に見えてくる」という言葉があります。ニューヨークの貿易センタービルに突っ込んだ旅客機の中に大勢の人が居ました。突っ込んだビルにも、飛散してゆく物体の中にも大勢の人が居ました。倒壊してゆくビルの中にはすさまじい数の人々が居ました。
きのこ雲の下には父が居ました。
そういう事が在ったという事実を知る事は大事だとは思います。しかし見たくありません。
平和学習などでは、高熱と爆風で一瞬に蒸発したかのように伝えられています。しかし実際には熱戦で焼かれ、爆風で倒れた家の下敷きとなり、発生した火災の延焼で燃えていったのが事実です。
だからこそ、それを生き抜いた人々は最後まで全力で生きようとしているのです。
平和というのもが如何にもろいものか、世論という物がどれほどコントロールされやすいものか、知らされました。
長崎はまた訪れてみようと思います。
皿うどんは美味しかったです。行った甲斐がありました。食べたお店の人の言葉も優しかったです。ガソリンスタンドの店員さんも丁寧で純真だと広島人の私には思えました。
2001/10/14
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