ここは広島旧市内
8月6日の夜には、爆撃で川へ避難したまま命絶えた人々のため「灯籠流し」という行事もございます。実際に、広島旧市内で戦災に遭われた方の比率(私の寺のまわりのお寺でもそうでない方が増えてきましたが)が下がってきたこともあり、以前ほどの規模ではありません。報道では、他の地方の「精霊流し」と混同されることが多いのですが、正しくは「灯籠流し」です。
流す灯籠の構造は他の地方と変わりはありませんが、意味合いはかなり異なると思います。
8月にだけ見られる「平和運動」お祭り騒ぎの足下で、何が現実に起こったのか、何を見た人が居るのか、もう少し静かに迎えてもいいような気はしています。平和平和といいながら、偏見を助長している、これもまぎれまない事実です。
「ヒロシマ」「ヒバクシャ」とカタカナで表記する事に何の意味があるのか、まさか外国の人がカタカナなら読める・・というわけでもないとおもうのですが。地元に育った私には、あまり良い感じの言葉ではありません。
被爆者の子は被爆2世と呼ばれ、さらにその子は被爆3世と呼ばれるのか、そう呼ばれる側の心情を少しは考えて欲しい、最近そう思うようになりました。
人から善意からであろうと悪意からであろうと、触れられたくない部分というのは あります。
毎年8月5日に、原爆ドーム側のお寺(西向寺さん)で原爆の逮夜法要が勤められます。
戦後50年、実際にその惨状を目の当たりにされた住職さん方も次第に世代交代し、50回忌を機に終わりにしようかという声もありました。50年も経つと、直接関係のない方も増えてまいります。
ただの陳腐な平和イベントになってしまう前にやめるべきだという意見、続けるべきだという意見、様々な論議があるなか、参拝の方も次第に減り、(関連イベントの騒ぎが激しく、老人には参りにくいという時期もありました)やはり縮小してゆきましたが、親から聞かされた世代、決して他人事では無い世代、「被爆2世」(語感はいい感じしませんが、ルパン3世みたいなものかと)と呼ばれる私も含めたものが集まるように、世代交代の波は流れています。
しかしながら、偏見の波は未だ強いのが現状かもしれません。何も根拠はありません。しかし人を中傷するネタとしては根拠などいらないのも事実なのです。
父が結婚するとき、テレビ局が取材をさせてくれと言われた時代もあったのです。
人に対して、あなたは*歳までしか生きられない 等と言うことが平然と言われていた時代もあります。
未体験への恐怖故とは思いますが・・・
一番恐いのは、人の心なのかもしれません。
1997/09/18
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