あんなはなし こんなはなし



悲しいこと 寂しいこと

「癒し」という言葉を頻繁に耳にする様になりました。「癒されます」という言い方が多い様に思うのですが、「**の疲れを癒す」という使い方の方が自然に思えます。癒しグッズはいろいろありますし、「癒し系」という言葉もあります。

でも 「癒し」 って なんでしょう? 心が落ち着くこと、ほっとすること、ゆとりをもてること、ストレスが無くなること、やすらぎ?

「千の風になって」という歌が流行りました。実はテレビなどで知るよりもっと前から浄土真宗本願寺派ではお説教の際に森羅万象に阿弥陀様の慈悲が充ち満ちている事の「例え」としてこの歌詞を引用されていました。これがテレビで良く流される様になり、多くの方がこの歌を聴いて「癒されました」「身近な者を亡くした悲しみが消えました」と言われるのを良く聞きます。またお寺のコーラスなどでも頻繁に「癒し」として歌われる事があります。

ところで、「悲しいこと」や「寂しいこと」は悪い事なんでしょうか?

身近な方を亡くされる事はどんな人にとっても大変な事です。人によっては時間が経てば解決する、悲しみを薄らぐと言われる事がありますが、当人には何年経っても「今ここに居てくれたら」「今なら何と言ってくれるだろう」と思うたびにやはり寂しいものだと思います。
いつまでも悲しみにうちひしがれていてはいけないのかもしれません。しかし、大切な方との別れによる悲しさ寂しさというのは、「自分がそう思わなくなれば」それでいいものなのでしょうか。「もう悲しくない」と思っても思わなくても、亡くなられた事実には何も変わりはありません。
歌を聴いて 「死んでなんかないんだぁ」 で納得できます?

じゃあ どんな大切な人でも、目の前にいて自分を助けてくれないとだめ? もう亡くなったから役にたたない?

「別れる」という言葉の前には「出合っている」という言葉があります。別れによる寂しさ悲しさを遠ざけることで、出合わせていただいた事の大切さまで遠ざけてはいないでしょうか。
悲しみは時と共に薄らいでゆくのかもしれませんが、どんなに時間が経っても、自分が「嬉しいとき」また「悲しいとき」今ここに居てくれたと思うと「寂しい」というのはごく自然な事なのかもしれません。それは出合っていた事を大切に思えるからこそ、その命のご恩に気づくことができているからこそなのかもしれません。

一つの歌によって出口の見えなかった自分の心に一つの新しい道が照らされてくることはあります。歌は生ものとも言われる方もあります。どんなに古いどんなに良く聴いた歌であっても、自分が年をとり変わっていけば、また新しい聴き方ができるようになり、その歌詞の世界に新しい発見もあるものです。

寂しいとか悲しいというのはマイナス思考だと今の時代は言うのかもしれません。自分の弱い部分もろい部分を正面から見ることさえ今の時代はできなくなっているのかもしれません。

宗教は「癒し」だという僧侶の方も多いのですが、本願寺派の御門主様は京都の大学での公開講座の席で学生の方からの質問に「癒しの部分は確かにあるかもしれないけれど、それは宗教の目的ではない」との趣旨をはっきり示されていらっしゃいます。

自分の命と亡くなった者の命を同等に思うことができるからこそ、その別れを「悲しい」「寂しい」と私たちは感じる事ができるのです。その命に出遇わせていただいた事も含めて、私たちは「自分の命」をとらえることができ、大切に思い、命に感謝することができるのではないでしょうか。
亡くなってもなお 大切な方々の命 その方々が居て下さった事 はありがたいことなのではないでしょうか。





2010/03/07

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