浄土真宗って?
「供養(くよう)」というのは?「ご法事」は?
お盆やお彼岸になりますと、仏壇屋さんや石屋さんのCM等で 「ご先祖様の供養をしましょう」 等とよく耳に致します。「供養」といいますと普段一般には耳慣れない言葉ですが、「何かご先祖様にしなければならないこと」 のように思われることが多いような気が致します。
ご法事は、亡き人のために、縁のある人々が集まって、亡き人を供養するもの・・というのが一般的な理解かもしれませんが、浄土真宗の場合は、もう少し意味合いが進んでまいります。
「供養」いわゆる「追善供養」(ついぜんくよう)の意味では、確かに亡き人のため、という意味が強いのですが、ご法事にお集まりになられるきっかけ(ご縁)を作って下さった方はどなたか?と考えてみますと、それは、そのおうちのご主人が日にちを時間を決めて下さったのかもしれませんし、ご親戚の方が集まって下さったのかもしれません。がもう一人大事な方がおられます。それは亡くなられた方ご本人です。
実は、よくよく考えてみますと、その方がおられたから、その方のご縁で集まることができている。何にもないのにご法事はできません。日本では一般にその方の命日にちなんでご法事をいたしますが、国によってはその方の誕生日にご法事をするところもあるようです。
よく、亡くなった方のために、お経をあげる、という言い方をされることがありますが、そこでお勤めされる「仏説阿弥陀経」(ぶっせつあみだきょう)というのは、お釈迦様がお元気であった頃(今から2500−2800年前)に、お釈迦様が舍衛国(しゃえこく)という国で、1250人あまりのお弟子さん達の中で、お話になられたお説教を、お弟子さん達がよくよく勉強され、インドの古い言葉(サンスクリット)で文字として書き残され、それが「西遊記」等の舞台となったシルクロードを通って、中国へ伝わり、中国のお坊さん達によって「漢文」のお経に翻訳されたものが、現在の東アジアの様々な国(日本も)に伝わり、現在もその各国の漢字の読み方によって伝えられています。
その、舍衛国でのお釈迦様のお説教の内容というのが、「お浄土(阿弥陀仏の国)」に関するお話でした。「お経」というと 「亡くなられた方のため」 と思われがちですが、一生を全うされ、お浄土に還られた方に、お浄土のお話が説かれている阿弥陀経を説く、というのも、考えてみると不思議な話で、実はそのお浄土のお話に一番ご縁の薄いもの、命のことわりに一番気が付きにくい者が、その話を聞かねばならぬはずです。
それが、実は亡くなられた人ではなく、ここにいる「わたしたち」の事なのです。
「供養」といいますと、「何かしてあげること」の様に思いますが、「供」という字を見てみますと「そなえる」という字です。「おそなえする」と言うときの心持ちを考えてみますと、日頃お世話になっている事に対し、感謝の気持ちをこめて「おそなえさせていただく」という気持ちではないでしょうか。「おそなえしないといけない」ではないはずです。
実は、浄土真宗の場合、「追善供養」という言葉は用いません。 いろいろな方のご縁、普段側に居てくれる方、遠く離れて普段会えない方、先に命を全うされた方、いずれのご縁にも同じように支えられて居ることに気づかせて頂くとき、まず「ありがとう」と「感謝させて頂く」のが、我々のつとめではないかと思うことでございます。
浄土真宗では「追善供養」とは言わず「報恩感謝」(ほうおんかんしゃ)であると言います。
またその有縁の方々のご縁を通じ、我々の命のありさまを、絶対に見放さない、時間の経過の中で虚無なものにさせないと誓っておられる阿弥陀様の思いに対し、感謝しつつ、日々を精一杯がんばってゆくのが、我々の歩む道であると思うことでございます。
1997/03/29