浄土真宗って?


命あるものが死んだらどうなるの?


 この世の中に存在するいろいろな命には、必ず終わりがあります。
「人間死んだらゴミになる」「人間が死んだらカルシウムになる」と言われることもあったり、「霊魂」のようなもの「幽霊」のようなものになると言われたり、なにもかも無くなって「無」になる、そういわれることもあります。
 浄土真宗では、「霊魂」や「魂」という言葉を使いません。なぜなら、いのちあるものがその一生をまっとうし、「一生を終えた」(完成した)といえるのに、その後も「意識」や「感覚」や「記憶」だけあって、時間的変化(年をとったり、衰えたりすること)する「身体」だけがない、そういう存在はある意味では人間にとっての理想の存在なのかもしれません。
 浄土真宗では「仏様にならせていただく」そういう表現を使いますが、私が仏様にならせていただくのです。しかしその「私」は「精神的主体」でも「霊魂」でもありません。そういった「我執」(自己意識)から離れ生命体が本来あるべき完結した状態、時間的に空間的に絶対の無限大の世界へと展開させていただくことをいいます。
 「お化けは死なない」という言葉がございますが、これはある意味では人間の理想です。
 先に亡くなった方々と、私たちとの関係というものは、その方が一生を終えられることで帳消しになるわけではありません。親兄弟の縁、友人知人の縁、師弟の縁、それらが消え去ってしまうわけではありません。
 「その方の命があったこと」「その方が生きておられたこと」「その方の足跡がご縁として残っていること」を忘れず、様々な有縁の方々のご恩に感謝しながら日々をおくらせていただきたいと、思います。





最終更新 1997/02/09